障害者雇用の
セーフティーネットを

松薗優大(24新卒)

Yudai Matsuzono

・出身大学 京都大学大学院 文学研究科
・好きな言葉「理想論というのは何も行動しようとしない人の言葉」
・趣味「野球観戦(阪神)、カラオケ、特撮」
・ニックネーム「ぞの」

「意識高い系」って、何?

周囲と自分の差に気が付いたのは、中学校の修学旅行に際して、沖縄戦について学習しているときでした。私は小学生の頃広島に行って以来、戦争というものが非常に恐ろしく、決して過去の話ではなく日常の延長にあるもの、有り体に言えば自分事として感じられ、真剣に学ばないといけないという想いを強く持っていたのを覚えています。このような想いはある程度共通のものであると考えていたのですが、実際にはそうではありませんでした。周囲の友人たちは戦争の問題を自分事とは捉えておらず、それどころか私を「意識高い系」だとして、冷ややかな目線すら感じました。
同様の現象は、その後の人生の様々な場面で目にしました。気候変動の問題を訴える活動家に対して、不当な差別に抗する人々に対して、あるいは事業を通じて、社会を変えようとしている人々に対して。どうして、社会問題について「意識高い系」の人と自分とを切り離すのか。私は、「社会派」という言葉―「そういう」映画や、小説などをジャンルとして括るときに使われる言葉―にも、社会問題を自分とは違う、「意識高い系」のものとして押し込めてしまうような作用があるのではないかと感じ、「社会派」という言葉が生まれ、広く使われるようになった経緯について修士課程で研究をしました。

写真:修士論文の表紙。修士論文の表紙。

対話を通じた、現場の問題の解決を

「社会派」を研究する一方で、自分の捉えている「社会問題」の問題点と限界にも気づいていました。それは、私の社会問題への理解度は新聞や授業、本から得られるレベルにとどまっていたこと、行動の伴わない自身の「意識の高さ」に果たしてどこまで説得力があるのかということでした。「社会派」や「意識高い系」といった言葉がスティグマ化していったのは、言っていることに対し姿勢や行動が追いついていない人々への批判的な使われ方が定着したのではないかという仮説も、一面ではありうるのではないかと思います。
今そこに本当にある問題は何か、本当に為すべき行動は何か?それを考え実行するために、大学院最後の1年は若者中心の非営利団体へ加盟し、研究の傍らながら活動を始めました。原水爆禁止世界大会への参加から地域の公園での食料支援まで活動内容は多岐に渡りましたが、活動を通じて学んだのは「対話」の重要性でした。例えば食料支援の現場では、利用者との対話を通じ「頼るべき機関や制度がわからない/知らない」「鬱を発症し仕事ができず、更に生活環境が悪化するサイクルに陥っている」といった、食べるものに困っているという問題に併発している周辺の問題について知ることになりました。既に表面化している問題をただ訴えるのではなく、その問題に実際に取り組み当事者の声を聴くことで、重ねて解決が必要な問題を表面化し、またそれに取り組み、というサイクルを生みだす。そうすることでやっと問題の本質に迫っていけるのではないかと感じました。
私は次第に論文に追われ活動頻度は減ってしまいましたが、団体の中には更に有志の会を立ち上げ、食料支援の現場やアンケート調査で浮き彫りになった生活の問題を市議会議員や出版関係者へ報告した人もいました。そのときできなかった分も含め、今度は本業として「社会派」で「意識高い系」な仕事に取り組み、これを体現したいと感じるようになりました。その際には非営利団体での経験を踏まえ、机上の問題にとどまらず現場での「対話」を重視したいと、そう考えています。

写真:原水爆禁止世界大会の様子。班ごとの活動では、参加者同士で「核兵器廃絶や平和の実現のために何をしてきたか/何をしていくか」などについて話し合いました。原水爆禁止世界大会の様子。班ごとの活動では、参加者同士で「核兵器廃絶や平和の実現のために何をしてきたか/何をしていくか」などについて話し合いました。

GPへの入社理由

どうすれば、仕事として社会の問題に取り組めるか。というところから、私の就職活動は始まりました。就職活動と言っても、最初は自分で社会起業家になろうと画策したり、政治家になろうとしたりで、企業就職はあまり考えていませんでした。「社会課題の解決」を謳う企業そのものは少なくないものの、ある種その課題に市場を見出したり、時流に乗ったりしているだけに見える企業がほとんどに思えたためです。表面上だけのSDGsなどがいい例です。
しかし面談やオフィス訪問などで会ったGPの社員からは、障害者雇用という社会課題を何とかしようとする強烈な意識を強く感じました。「新規事業はどのようなものを考えているのですか」というミーハーな質問に対しても、「ここに課題があるからこういうことをしたい」「困っている人がいるなら、こんなこともしたい」と真剣に向き合ってくれ、どこまでも課題ドリブンで事業を進める会社なのだという印象を受けたことを覚えています。社会の問題に取り組むことを仕事としたいという私の想いについても、間違いなく1番受け入れてくれた会社でした。内定が出たのは時期的には就職活動の半ばでしたが、入社の決断には長く時間はかかりませんでした。

GPで実現したいこと

「利用者様や求職者様の仕事の不安をなくしたい/なくすための仕組みを作りたい」というのがGPでの目標です。私も就職活動中、今後の人生について大きな不安を抱えていました。それはやはり現代の社会においては、多くの場合仕事が人生の大半を占めているからだと思います。生活の安寧のためには、まず仕事の安定が必要です。しかし障害がある人々の仕事に対する不安を、例えば属人的に解決していくことには、解決できる範囲に限界があります。
GPでは就労のためのトレーニングをジョブトレ部門で、就職とその後のサポートをキャリア部門でそれぞれ連携しつつ支援できる仕組みがあり、個人ではなく全社的な取り組みとしても利用者様の「仕事の不安」の解決のためにできることが多くあります。私も、就職活動の機会だけに閉じない多角的な支援を創造したいと考えています。「仕事については、GPに相談すれば大丈夫」と認知していただけるような、言わば障害を持つ人々に対してのセーフティーネットになりうるようなサービスの提供を目指したいです。

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