森田渉吾(23新卒)
Shogo Morita
・出身大学 中央大学 法学部 国際企業関係法学科
・好きな言葉「心は熱く、頭は冷静に」
・趣味「サッカー・海外旅行」
・ニックネーム「しょうご」
いつ頃からか明確に覚えてはいませんが、私は幼いころから「貧困」について関心を持っていました。テレビからか誰かとの会話からか、アフリカには毎日の食事が当たり前ではない人々もいるということを知り、かわいそうだなと感じていたおぼろげな記憶があります。
大学進学を真剣に考えるようになった頃から、国際協力や貧困問題についてもっと知りたい、自分に何ができるのかを考えたいという思いが自然と強くなっていき、大学入学後はコロナ禍を経験しながらも東南アジアを中心に途上国と呼ばれる国々へ何度も訪れました。語学留学やNGOでの活動、旅行など目的は様々でしたが、それぞれの国を訪れる度にその国への愛着は強まる一方でした。ここまで東南アジアに憑りつかれたのは、「貧困」という問題を抱える当事国として捉えていたはずが、そのイメージが自分の中で大きく変わったためです。経済的なものさしで測れば決して恵まれていない人々であっても、ときに私の目には彼らが眩しく映ることがあります。物質的な豊かさはさておき、人と人との繋がりがとても大切にされていて、モノから充実感や幸福感を得ようとするのではなく、自分たちで楽しく生きようとする逞しさやエネルギーをとても強く感じるからです。
そんな彼らを目の当たりにして、幸せに生きるための条件や豊かさを測る尺度など、日本だけで生きていれば感じえないたくさんの尊い気づきを得ました。幸せに生きるためのヒントを彼らから教わり、それは今の私の価値観や生き方に大きな影響を与えてくれています。
色々な国の人々と関わる中で「幸せ」や「豊かさ」について、興味や関心が段々と大きくなっていた私は、足元を見過ごしていたような感覚を抱き始めました。自殺率の高い国であることや、人と人との希薄な関係性や人に対しての冷たさを多々感じることなどから、日本に住んでいる人々は幸せなのだろうかと疑問を持ち始めたためです。他の国と比較できるようになったことで、先進国である一方、心の豊かさという観点では日本が深刻な課題を抱えている国であることに気づきました。
そんな中私が新たに関心を持ち始めたのが、日本における「子どもの貧困」でした。生まれる環境を自分で選ぶことはできないのにもかかわらず、子どもながらに「貧困」を理由に様々な選択肢を制限されたり、人との関わりが断絶されてしまったりと、それらが原因で苦しんでいる子どもたちが実際にいることを知り、何か自分に出来ることはないだろうかと考え始めました。自分が子どもの頃の記憶が楽しいものばかりで溢れていたからこそ、そうでない子どもたちがいる世の中を少しでも変えたいという思いが自分の中に強くありました。
その経緯で始めた活動が、学習や食事の支援、文化的活動の体験機会を提供し、中高生が安心して楽しく過ごせる居場所を創出するユースセンターの学生スタッフでした。想像とは異なり、私自身が中高生のとき出会っていれば友人になっていたであろう元気で明るい生徒も多く、彼らと過ごす時間はかけがえのないものでした。しかし一方では他人に見えない部分で悩み、経済的な問題が一因となって学力や進路選択等において苦しむ生徒も少なくありませんでした。「貧困」という括りで生徒たちを捉えることが正しいことなのか悩んだり、「貧困」を根本的に解決することの難しさを痛感したり、自分の至らなさを常に感じながら試行錯誤する1年半ではありましたが、彼らを想い彼らに想われて過ごした経験と記憶は、私にとって非常に大きな意味を持つものになりました。彼らにとってもそうであってほしいなと心から願っています。
様々な理由がありますが、入社の決め手と最大の理由は、選考を受けた数多くの企業の中で最も一人の人間として尊重されている感覚を抱いたためです。
私は社会課題に関心があるものの、その範囲は広く、どのテーマに最も関心があるのかは今でも分かりません。そんな中でも、企業を選ぶ上で大切にしていたことが主に2つありました。1つ目は、どれだけ自分が当事者意識をもってイキイキと社会課題と向き合って働き続けられるか。2つ目は、将来的に本気で取り組みたい社会課題が自分の中で明らかになったとき、その課題解決に足る能力を働く中で磨くことができそうか、ということです。
選考のやり取りや面接、面談を通して、温かみのある社員が非常に多く、人の意思が尊重されやすい雰囲気や、自分のやる気次第で様々なチャンスを掴みとれる文化があることを身をもって感じ、悩んだ末、最終的にGPに入社を決めました。前者に関しては、入社するかも分からない私のために1対1でとても丁寧にGPの詳細まで説明してくれた社員や、新卒5年目にして既に希望に沿ったキャリア形成を体現している社員などの存在を知れたことで、働かされるのではなく、自分の意思で熱い思いをもって働き続けられるイメージを実際に描くことが出来ました。後者に関しては、最終面接での代表の進藤の言葉が今でも印象に残っています。私はそれまで、利益を追求する必要がある以上、企業目線では結果が社員に最も求められることであり、自分の意思よりも企業のために結果を出すことが最優先だと考えていました。しかし、「GPで働いた結果としてより良い社会の実現に寄与できる人材になれるのなら、それを表現する場所は必ずしもGPでなくてもよい。是非GPで育っていってほしい。」という言葉をかけられ、自分に嘘をつかずに、一生懸命働き続けられる確信と覚悟が得られました。
私はGPで働くことを通じて、障がいを持っていてもイキイキと楽しく働ける社会の実現を目指したいと考えています。障がい領域のみならず広く社会課題に関心がある私ですが、根底には生きづらさを抱えている人々の力になりたいという思いがあります。
私はGPの「アスタネ」を見学して、障がいを持っている方が働いているならば、その事実は既に評価に値することだと無意識に考えていた自分に気づかされました。障がいを持っている方の職種が制限されることを仕方のないことだと考えていたため、アスタネのスタッフの仕事ぶりに衝撃を受けるのと同時に、勝手な偏見を持っていたことに恥ずかしさを覚えました。
仕事によって生きづらさを感じる人々が少なくない現代において、障がいの有無がその原因になってはいけないと思います。そんな時代だからこそ、障がいを持っていても当たり前にイキイキと働くことを目指せる社会をGPから、そしてGPで働く私が活躍することで実現したいです。